すべてをゼロに戻すのは、多少、頭が能天気なら誰にでもできるが、そこからまた違ったことをはじめるにはやはりいくらかの時間がかかった。
今の仕事(弁当屋)は二〇〇〇年に東京に来た時から続けている。
何のあてもなかったが、そのときははっきりと自分の書いた文章を金に換えて生活することを考えていた。とはいえすぐに金になるとも思えなかったからとりあえずはじめたのが今の仕事だった。
それ以前が、書くことと、生きることが分離した生活だとするなら、東京に来てからはじめた生活は書くための生活だった。
だが、目的に縛られた生活は以前にも増して息苦しく、結局上手くはいかなかった。
東京に来てからの三年間で三回文芸誌の新人賞に応募したが、三度とも箸にも棒にもかからなかった。
そのとき送った文章は、東京に来てから新たに書いたものではなく、二十代のときに書いていた建造物をなんとか取り繕い体裁をつけたものだった。むしろその三年間は何も書いていない時期、といった方が良いのかもしれない。碌に働いていないから、時間はあったが、それも無駄に浪費するだけで終わった。結局、書くことで食い扶持を見つける前に、目の前の生活が立ち行かなくなる。
そんな状態になってようやく考えることをやめた。あるいは考える前にやるべきことはいくらでもある、ということにようやく気づいたというべきか。
さて、どうする、という状況のとき、弁当屋の仕事場に欠員が出たので、その穴埋めを兼ねて労働時間を延ばし働くことをはじめた。それまでの怠惰な生活がたたって、借金が膨らみ、いくらか首がまわらなくなってきていたから、まあ少しでも余計に金を稼げればと思ってはじめたことだった。もちろん、単に借金を返すなら他に割の良い仕事を探すべきだったのだろうが、何か目的を持ちそれに生活を規定されるのは嫌だから、仕事場を変えることには二の足を踏んでしまった。
何はともあれ、今、この場所にいるのだから、ここから始めてみるかとその時は考えた。
弁当屋での仕事があり、それで稼いだ金の中から、返せるだけ借金を返す。
あとは残った時間で、人と会い、本を読み、ものを書き、というのがそこからはじめた生活。考えてみれば学校を卒業してからいくらも変わらない生活をずっと続けている。だが、むかしは、生活、のことなど何も考えていなかった。日常と非日常の間を自分の都合でただ行き来しているだけだった。日常を突き崩すために非日常を構築する、あるいは非日常に埋没しないために日常に足をかけておく。結局それではいつまでも現実が変わることはない、と最近は思いはじめている。
他にもっと正しいやり方があるのかもしれない。だがもう、正しさ、に興味はなくなった。一体、正しさとは何だろう?
その後のことは、二〇〇五年にはじめたブログの文章の中で書いている。(現在「中断する物語」)
二〇〇六年の九月より自身のホームページを開設し、そこで月に一度文章を載せることをはじめた。(06/09/20)