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戻る1980年代という時代を考えても、経済的に豊かになったというだけで、ただ無意味で空虚な時代という感触しかない。左翼運動が壊滅したあとでは、ともかく経済的に成功したのだからそれでいいではないか、という空気が蔓延し、そこで何を言っても聞き入れらることはない、そんな感じだった。
父親は戦後、いかに貧しかったかを話し、今のおまえはどれだけ恵まれているか自覚しろと言う。少年は目の前の幸福に欺瞞の匂いしか感じず、これが幸福なら貧しい方がましなのではないか? と考える。
祖父は、お前は戦争を知らないから幸福だと言う。さすがに今の幸福より戦争の方がましとは思えなかったが、この人たちに何を言っても聞き入れられることはないのだと少年は思うのだった。
それがときに、奇跡、と称賛されるほどの、焼け野原からの復興、急速な経済成長も誇られても、こっちは結局、何も変わらないのだと思うだけだった。一億総動員から一億総玉砕へなだれ込み、そこからの一億総懺悔、焼け野原からの一億総中流社会へと進むこの流れを駆動させているのは、いつも変わらぬ同調圧力だ。その圧力の下では個であることは許されない。いや、個が未熟だからいつまでも支離滅裂な同調圧力に屈するほかないのか。
何年か前に、割とリベラルと目されているような人が、昔はよかった、自民党は変わってしまった、と嘆くように言うのを聞いて驚いた記憶がある。(今ではリベラルとはそういう人たちの集団なのだと理解はするが)
冷戦が終わって確かに世界は変わったが、振り返って自民党なる政治集団が何かをなしえたなどということがあるのだろうか? アメリカという権力に張り付いて上手く立ち廻り、経済成長をなしえたといえば確かにそれは共産党にはできない芸当だったのかもしれないが、その経済成長が他のあらゆる事象に目をつむり、後回しにすることで可能だったとするなら、その経済成長を単に称賛するだけでよいのだろうか?
豊かさか貧しさか、という二者択一の問題ではなかったはずだ。だが、その軌跡を見る限り、経済の発展を理由に他の多くの困難に目をつむって来たようにしか見えない。左翼運動が終わったあとで幸運な凪の時代は短かったとしても、もっと違った時間の使い方はあったはずだ。
1990年代は変化の時代となるべきだったし、その可能性は確かにあったはずだ。だが人々が選んだのは保身と責任の回避、そして無関心という名の現状維持だった。
自民党独裁体制にヒビが入り、バブルは弾け、経済は破綻に向かっていく。オウム真理教の事件は世界的テロルの時代の中での出来事だった。少女への性暴力をきっかけに沖縄では基地撤去の機運が広がっていく。
しかしそこから起こったことといえば、不良債権に税金を入れ金融を守り、産業の入れ替えは進まず、一度は壊れたはずの政治体制も気づけばもとのさやに戻っていた。
国旗国歌が法制化されたり、盗聴法なる法律ができて、国家の管理体制が強化されていく。普天間基地の返還を条件に、辺野古への新たな基地の創設を決めて沖縄を切り捨てる方針を固めたのは、一億総中流を実現したとされる政党だった。
そうやって世紀は変わり、最悪の今へと続く時代になだれ込んでいく。九十年代に終わりを宣告されたはずの政治や文化が資本主義への転向、近代への回帰を伴って居座り続ける。
とうのむかしに役割を終えたはずのものをぶっ壊す、といって登場したのが小泉純一郎だが、その小泉と仲間たちが進めたのが、安い労働者を増やし、金持ちをさらに肥大させることだった。
切り捨てられる側の労働者として働いていたとき不思議だったのが、小泉のような人間を支持するのは金持ちだけでなく、寧ろ、切り捨てられる側の人間であったことだった。悪いのは古い政治であり、小泉のような人間が我々を救ってくれる、ということなのだろうか?
別に強いられてこの切り捨てられる場にいるのでなく、自ら選んでこの場にいる、という人たちもいた。安くこき使われている今は、一時の世を忍ぶ仮の姿で、その傍らで、絵を描いたり、役者をやったり、音楽をやったり、はたまた小説を書いたりして、いずれ違った場所へ浮き上がっていくのだ、といった人々。そういう人は得てして政治には無関心だった。無党派層は選挙など行かずに寝ていてくれれば、とかいっていた政治家もいたが、まあ安く働いてくれるなら、いつまでも夢を追っていてくれと資本の側は思うだろう。その手の詐術が今の若者に通用するのかはよく知らない。
切り捨てられた場所で闘う、という姿勢は少なくとも日本以外の場所では一般的なことだろう。しかし、バブルで遊び惚け、冷戦崩壊以後の世界の変化に気づけもしない世代に、そんな芸当は思いもよらぬもののようだ。今だって、政治が企業に賃上げを要求するというような状況をおかしいと思わないのだろうか? 待遇改善は自ら要求することではないのか。ひとりでだめなら仲間同士で交渉するというのが本来の労働組合の形だろうが、切り捨てる側に選挙で投票している時点でそんな機運が盛り上がることを期待することもなかった。
切り捨てられた場所で、地面を這いつくばって生きるという道もある。貧しいなりに、仲間同士分け合って。荘子だが孔子だかの泥の中の亀の自由、といったところか。だが、それだって時と場所が違えば、違った意味を持つことになる。日常的に暴力に晒されている場所で、例えば沖縄のような場所では、どんな形であれ闘わないわけにはいかない。
東京で十年間暮らした後で、そこから地方に逃げ出したのは2011年のことだった。
地方に何か夢や希望を持って移動したわけではない。金もないし、もう東京では暮らせないと思って逃げ出しただけだ。
それまでとは違ったくらしをしようという気もなかった。ネットがあればどこに行っても同じような暮らしができるだろうと思ったから地方に移動した。ネット環境がなければ、東京を離れたとしても都市を離れることはなかったと思う。原発事故以前に移り先は決まっていたがもしタイミングが違えば関東圏も離れたかもしれない。そうかあのときはまだ民主党政権だったのか。民主党政権に何か期待していたという記憶はないし、そのあとの安倍や菅といった醜悪な連中の顔も、どこか離れた場所から眺めていただけ、といった感覚だ。なにがしかのデモ行進のようなものに参加したということもなく、権力から離れた場所で崩れ落ちていく現実を眺めていただけだった。
何もしていない。何かをしなければいけないとも思っていない。ただなんとか生きながらえているだけ。生きている、ということが疑わしく感じることも多々ありながら。
日常の中でほんの束の間、息をつくことは誰でもあるだろう。例えばパレスチナのような場所でも血と涙の間でふっと空を見上げ、星空がキレイだと感じることもあるかもしれない。
幸福、に与する気はない。この時代にある不幸と悲惨のなかで、堕ちることすらできないまま、それでも時折息つきながら、またイチからやり直す。(2025.08.27)