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戻るこの夏は低調だった。
七月の早い時期に、油断して無理に身体を動かしたら熱中症になり、そこからは頭痛や身体の火照り、身体のダルさが薄っすらと身体を被うようになってしまった。仕事はなんとかこなすが、家に帰ればただダラダラと横になり何をする気も起きない。日々の雑事は溜まり、読むことも書くこともままならならず、ただ時間だけが過ぎていく。暑さには強いつもりだったが、今年の夏は、ただ暑さが疎ましいまま夏は終わった。
「ヨーロッパ覇権以前」という本を読むと、十二世紀から十三世紀の間に、アラブ、インド、南アジア、中国に渡る海を通して雑多な世界市場が拡がり、完成していたことが分かる。完成、と安易に書いたが、それを完成と見るか、あるいは中国の没落、戦いの激化による世界市場の破綻と見るかは微妙な問題のようにも思える。それはともかくとして、その十三世紀以前までは大小の暴力はあれど、あらゆる宗教、民族が雑多に共存していたのは確かなようだ。そこから、アフリカ大陸を廻りポルトガルが介入してくることでことで西ヨーロッパ勢力が流れ込み、この安定は破られる。傲慢で暴力的な西洋中心主義が世界を席巻する。その辺りが今ある近代文明のはじまりなのだろう。そして今、その広がりすぎたひとつの文明が音をたてて崩れはじめている。
十三世紀頃に確立された世界航路に思いを馳せるとき、この極東の島国が、まさに世界の端っこ、辺境であり周辺であるほかない場所に位置しているのだと、実感を込めて感じずにはいられない。遅れてあることが宿命づけられ、回りからの関心は薄く、その中で海に守られているという条件を逆手に取り、内側に籠りあるはずもない中心をめぐって東だ西だと権力闘争に明け暮れ、文化は無駄に洗練を重ねる。もちろん決して自閉することを許さない、大陸や半島との交流は常に存在していた、というくらいの認識はあったが、それもどこか実感の薄い、お勉強の域を出ない感触でしかなかった。
だが海や陸を渡る交通網を実体的に思うと、そこにはまた違った空間が拡がってくる。網野善彦の河海航路についての文章などを読んでも、ただこの島国の廻りをグルグルと廻っているだけとしか思えなかったが、その海洋航路が大陸や小さなアジアの島々を通じて、インドや中央アジア、アラブの国々へとつながっていると考えれば、この窮屈な島の中でも、少し息をつけるような気にもなる。
昔、坂口安吾が少年時代に新潟の海を眺めて彼岸を思っていた、というような文章を読んだ記憶があるが、その安吾の感触も単に観念的というだけでなく、それなりの実体があったということのなのかもしれない。
一時、話題になった「ショック・ドクトリン」を読むと悪化の一途を辿るパレスチナ情勢の一因は、冷戦後草刈り場になったロシアの国内市場にアメリカを中心とする外国資本が参入し、やりたい放題をやったあげく生活に困窮した住民たちが大量にイスラエルに流れ込んだのだという。
その移民たちの住処を確保するためにイスラエルはパレスチナへの侵攻を広げていく。それまでイスラエルにとって必要だった労働力としてのパレスチナ人も、そのロシア移民が肩代わりすることで、パレスチナ人はその役割を失い、イスラエルが侵略を踏みとどまる理由はさらになくなった。これが、あの寿がれたオスロ合意以後の最悪の流れを決定づけることになる。
新自由主義のやりたい放題は(何が自由か?)ロシアの経済を悪化させ、格差を生み出し、生活をめちゃくちゃにしたことで、あの独裁者を招き寄せることにもなる。
争いの種を撒いているのは一体、誰なのか?
世界はもう以前とは違ったものになっている。
パレスチナを国家として承認している国や地域は今や世界の多数派だ。その色分けされた地図を眺め、パレスチナの存在を認めないとしている国の面々を眺めると、自然と、恥知らず、という言葉が浮かんでくる。そんな世界の変化を気にもかけず、この極東の島国では相も変わらずアメリカが世界だと信じている。
対戦以前には天皇を信俸することで、多少なりとも資本に対抗する素振りも見えたが、今の信仰の対象がアメリカでは、資本に対抗する、などという発想すら出てこない。経済の破綻が先か、戦争がはじまるのが先か、どちらにしろ未来に希望など持ちようもない。
情報が世界を被っている。声も呼吸も間合いも無視して、見知った情報をただ怯えたように、あるいは自信満々になのか? ともかく、クソ真面目になぞっている。その退屈さになぜ安住できるのかよくわからない。そんなものにつき合う時間はもうないようだ。また少しづつ、本を読み、手を動かす。(2024.09.19)