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戻る「ドーパミン中毒」という本を読む。内容は題名そのまま、特に目新しい内容もなかったが、改めて何かに依存する生活の何たるかを示されると、なるほど確かに何もする気が起きず、コンピューターを開いてダラダラとくだらない動画を見続けるというのもひとつの依存で、これはまあ何とかしなければならないと、自分の怠惰さを鑑みるきっかけにはなる。
先月はページに文章を上げもせずダラダラと時間を過ごすことになってしまった。あまり書く気になれず、ほとんど本も読めていない。
もちろん、物価高だの増税だのミサイルの配備だの、苛立ち、やる気を削ぐ話しにはこと書かないわけだが、怠惰の原因はそんなことではなく、長引く花粉にやられてしまったというのが本当のところなのだった。
最近は良い薬があって、鼻の症状はほとんど出ずに済んではいたが、どうしたって身体のダルさや、頭がぼんやりするといった状態は避けられず、それが今年は四月に入ってからさらに調子が悪くなるような状態だったから、そのまま五月に入り、連休中にプチブル的アットホームな雰囲気に巻き込まれるような具合もあって、五月はダラダラと過ごすことになってしまったのだった。
もし、今、書いているこの文章がある程度の長さになり、ページに載せられているようならその怠惰な生活から、一応、脱出している、ということにはなる。
花粉症の不調にかこつけて、神経痛で肩が上がらないからといって止めていた煙草を吸い、アレルギーが酷いから(湿疹)控えていた酒を何日か飲み続ける、そんなことをやっているうちにどんどん調子を崩していったのだが、まあ、それはともかく、そのとき思ったのは酒を飲むのも煙草を吸うのも随分体力のいることのだな、ということだった。酒やたばこに限らず、それらの依存性の刺激を外から取り入れると、そのときハイになった分、揺り戻しがあるとはその「ドーパミン中毒」という本の中に書いてあったことだがそういわれれば確かに煙草を吸えば頭が痛くなるし、酒を飲めば二日酔いがある。昔はたばこも酒も全然平気だったというわけでなく、それなりの揺り戻しはあったわけだが、その揺り戻しを揺り戻しと感じない体力があったということなのかもしれない。くだらない動画を見過ぎたあとは何もする気が起きない、というのも一種の揺り戻しなのか。まあ、何をするにも体力がいる。肝臓が強くなければアル中にもなれないだろうし、麻薬をやり続けるのだってまあ何らかの強さが必要なのだろう。
だが、今の自分には何かの依存症になる体力はなく、依存していられる時間も金もない。
別に小市民的に健康に気をつけるなどと言う気はさらさらないが、動かなくなってきた身体をどう動かすかということは、まあ、考えてはいる。
特定の誰かを思ってことばを綴るというのはひとつのやり方だが、それだけではなく、誰にも宛てず、誰に読まれることも想像しないというやり方もありえるだろう。まずは書きはじめて、後は手が動くままにただ書き続ける。だが、それはいつでも簡単にできるというものでもない。人間の身体は機械ではないから、正しくインップットされていればそこに意志は介在せずとも自動にことばは生み出される、というわけにはいかない。もしそんな風に考えるなら途端に手は動かなくなるだろう。
手の動くままにするとき、集中しているといえば確かにそうなのだが、その集中はまわりの何物も目に入らず、他人の呼びかけすら聞こえない、というような状態とはまた違う。どこか一点を観つつ、全体が見えているとでもいうか。まわりを見ようなどと思えば、途端に気は途切れ、散漫な意識に拒まれ手は止まってしまう。
いつまでも戦争が終わらない。今の戦争が終わらないというだけでなく、南の島には着々とミサイルが配備され、戦争を招き寄せようとしている。あのなんちゃらアラートという茶番は一体なんなのだろうか?
クソのような悪法が、まったくの無風状態のなかで粛々と整備されていく。政治に無関心という域を超えて、従順であることがここで生きることの条件になったのか?
改めて全体主義、などという必要もなくここには個人など存在しないのだ。まるで個人としての責任を回避するためにみんなで顔を被い、無関係、無関心を決め込んでいる。
若い人ほど、マスクを外すことに抵抗があるのだという。一糸乱れぬ動きで、集団でダンスを踊ることをよしとする世代だ。そうやって若い人たちが集団で踊っているのをみると、こっちは北朝鮮のマスゲーのようなものをを思い出す。
口では多様性を言いながら、ダンスでは一糸乱れぬ同じ動きが要求されるというのは矛盾ではないのだろうか。
韓国のアイドルグループが世界を席巻しているらしいから、そうやってみんなで同じように踊るというのは今や世界的志向なのだろう。全体主義の時代にはまあお似合いの文化ではある。
争いの種を撒き続けるアメリカ。ウクライナでやったように、このままアジアでも戦争を仕掛けるのだろうか。
真と偽が混在したまま、事態はどんどん悪い方向に進んでいく。現実から事実だけを抽出することは誰にもできず、支配者は都合のいい反対意見を唱えながら傍若無人な振舞をやめることはない。
どこにも出口は見つからない。すべてを失い、文明が崩れ落ちたときでも、この身体のかすかな動きを感じ、従いながら、それでも生きていけるだろうか?(2023.06.04)