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この身体だけで

民主党の政権の政権陥落以後、この社会は滑り落ちるように劣化の度合いを深めている。
民主党が酷かったのはもちろんだし、それ以前に、とっくの昔から社会の劣化など始まっていたのだから、これはまさに社会の崩壊と呼ぶべきものなのかもしれない。
すべてにおいて自らの保身を最優先にし、その後の社会や組織、そこに生き続けるであろう人々のことなど気に掛けるところはない、といった醜悪な態度が今や蔓延し常態化したわけだが、その態度は資本主義の後ろ盾のもとで、多くの人のあいだで、まるで人間の本来的な態度かのように信じられているようだ。そんな様を日常の中で見せられると、何かおぞましいものを見たような気分になってしまう。
金の使い方、軍備の拡張、差別への加担、増長、そのすべてにおいて人間などこんなものだ、というみくびりがある。浅田彰風に言うなら、偽善を嫌い、本音でもたれあい存続していく共同体、といったところだろうか。そんな腐敗した社会の片隅で、自分がそれほど高貴で潔癖な人間などとは考えないが、腐った共同体の住人になる気はないということぐらいは言っておこうか。
この社会の崩壊をとどめることはもう誰にもできないし、その存続を願うべきでもないだろう。また、一億総玉砕か、という腹立ちはあるが、海外に逃げる手立てもないし、諦めてなんとかこの場で凌ぐほかに手はない。

やりたいことに向かって自分の行動を考え、生活を組み立てる、といったやり方は今でも一般的なものなのだろうか?
やりたいことをやって生きるなんて、今や金持ちの贅沢としか思えない。喰うに困るような生活の中で、やりたいことを見つけよ、などと言ってもそのことばの意味すら理解されないのではないだろうか。
もちろん、ことは経済的な話だけでは済まない。この根拠のない世界の中で、そうやって目的を設定し、自らの生に意味を見出すという無意味な振舞から生まれる傲慢さが今は問題になっている。自分がいなくなったところで、地球には何の影響もない、といった程度の謙虚さを持つところからまずはじめてみたらどうなのか?

理念や理想、生きることの目的を勝手に設定して、そこに視線を固定することで現実は見えなくなる。あるいは、そうと分かっていてそこから目を背けているのか。
現実を見るには、世界と触れ合うにはどうすればよいか。まずは黙ることからはじめてみる。あなたが最も恐れている、いや恐れる以前に避けているその沈黙と向き合ってみてはどうか。
ただ黙り続け、いたずらに時間をやり過ごせと言っているわけではない。沈黙は無でなく、行動だ。沈黙の裏で何をやるか、どう振舞うか、それが問題だ。
耳を開き、心を開いて、そこから見えるものすべてを見る。聞こえている音や声に身体を委ね、身体の熱と息を感じる。 何なら、今こうしているように手を動かしてみる。試しに声を出し、言葉を発してみる。そこかしこで身体の響きを感じられはしないか?
澄んだ心が感じられるとき、おぼろげに道は開けてくる。今、やっていることの波動が伝わってくる。夢や目的に依らず、手探りで道を探る。やるべきことを求めるまでもなく、目の前に日々の生活はあった。

世界はいよいよ悪くなっているが、それだからといって特別やれることも思いつかない。逆にいえば、結果が出ないことに捉われることもなく、そのことで行動を制限する必要もない。大事なのは実際に動くこと。勝った負けたの判定は二の次で、ただ行動の指針として使うだけ。当たり前のことをただ当たり前にやること。潰れるべき企業は潰す、とか(利益が出ないのだから)原発はやめる、とか(あれだけの事故を起こしたのだから。もちろん東電も潰す)当たり前のことというのはそういうこと。それで世の中がよくなるか、とかなんとかそんなことは考えない。
なにはともあれ日々の生活は続いていく。(2023/01/01)