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世界の裂け目

 

最初はなんとなく耳の調子が悪いと思って耳鼻科に行った。
耳が詰まっているような感覚がずっと続いていた。外からの音が聞こえにくいということはなかったが、喋っていると自分の声が内に籠って響くのがとにかく気持ち悪く、たまら ず医者に駆け込んだのだった。
「特に膿とか水が溜まってる様子はないし、鼓膜も凹んでないし、奇麗になってますよ。聴力検査も異状ないし・・・ ちょっと風を通してみますね・・・ どうですか? 感じ、 変わりますか? 」
担当したのはちょっと太めで、快活に話す、感じの良い女の先生だった。自分より少し歳は上で、三十の半ば過ぎというところだろうか。こちらの聞いたことにしっかり答えてく れるし、何より人の目を見て話しをしてくれるというだけで好感が持てる、と考えるのはあまりに評価の基準が低過ぎるだろうか。
何かにつけて病院に行く、というたちではまったくなかったがここ二、三年、たまたま医者にかかることが続き、その度にカルテに目を落としたままこちらの様子を碌に窺うこと もしないで、通り一遍の診察をする医者ばかりに当たりうんざりしていたのだった。次から次へと患者が続き息つく暇もない程に忙しい中で、人を診ることが流れ作業のようにな ってしまうのもわからないではないが、だからといってこちらの目も見ず、こちらの言葉にただ通り一遍の言葉を返すだけの反応よいとはやはり思えない。
「ちょっと鼻を診てみますね」 と言われ細い管のようなカメラを鼻の奥に入れられるとすぐに「ああ、ポリープがあるんだあ・・・ 」と先生はわたしの顔の側で呟くが、わたしは細い管を鼻の奥でグリグリと 動かされ、ただ痛みに耐えるのに精一杯で何とも反応できない。ようやく細い管が鼻の奥から抜き出されると、一気に身体の力が抜け、深い息をつく。看護師に手渡されたちり紙 で鼻を拭う横で「間宮さん、鼻にポリープがありますねえ」と先生に言われてもその言葉にまだ何とも頭が反応しない。
何か違和感はなかったか? 酷い鼻づまりとか頭痛とか匂いが効かないとか? と言われても、元々、春と秋のアレルギー鼻炎は毎年のことだし、十代の終わりに煙草を吸い出し てからは定期的に偏頭痛があったからそれが鼻のポリープのせいなのかなんなんなのかもわからなかった。とりあえずCT写真を撮ってきてくれと言われレントゲン室に行き、再 び診察室に入ると、やっぱり炎症がある、蓄膿症だという診断をそこで先生に下されたのだった。
「どうしますかあ? 」と先生は私に問いかける。その先生の言い方がおかしく、「どうしたらいいですか? 」と思わず笑いながら私もとぼけた問いを先生に返す。 耳の違和感と鼻のポリープに関係性があるかどうかはわからないが、鼻と耳はつながっているからまずは鼻の通りを良くすることを考えるべきだと思う。今のところは自覚症状は ないようだが放っておけば蓄膿の症状が進む可能性は高いから、とりあえず薬を飲んで様子を見て、それで改善しないようなら手術を考えてもいいと思います、というのが先生の 見立てだった。
その日は薬を貰い病院を後にしたが、一ヶ月間、薬を飲み続けても鼻がよくなった様子はなく、耳の感じに変化もなかった。
耳に関しては常時、違和感を感じるというわけではなく、日によって、時間によって調子が良かったり悪かったりする。調子が良いときにはまったく気にならず、耳のことなど忘 れているのだが、いざ、耳の詰まりを感じ、自分の声が内側で響き出すと、何となく相手と話していても間合いが上手く取れないというか、バランスやタイミングが取れないとい うか、何となく触角の取れた昆虫のような状態になってしまったような気になって「オレ、声、大きくないかな? 」などと相手に確認しながら話すことになる。
鼻のポリープを取ったからといって耳が元に戻る確証はないと言われていたし、鼻のポリープというのは悪性ではないが切っても再発の可能性が高いとも言われ、それじゃあ何の ために手術するのか? とは思ったが何となく蓄膿症というのも格好が悪いような気がして結局、手術を受けることに決めたのだった。
「じゃあ、紹介状書きますね」と言われたときにはその紹介先の病院にはいついくか? と頭の中で算段をはじめていた。死んだ母親が「鼻が悪いと頭が悪くなる」と言っていた ことをふと思い出していた。どんな話しの流れで母親がそんなことを言ったのかまったく覚えていなかったし、無理に思い出そうという気にもならずその母の言葉で特に深い思索 に導かれるということもないまま、母の言葉は再び記憶の奥に沈んでいく。


紹介状を書いてもらった先は都内の大学病院だった。
広大な敷地の中のその巨大な建物を私は下から見上げていた。出来もしないことを出来ると言い張りいずれは崩れさっていく現代のバベルの塔。
現代の医学というものをどこか疑っていた。だが疑いつつも実は病院にかかることが私はそれほど嫌いではなかった。重い腰を上げ病院に行き、自分の症状を話し、伝えるまでが 面倒ではあったが、一度、そこまで辿り着きレールが敷かれてしまえば後はただ何もしないでそのレールの上を走る列車に乗っていくだけ、わたしは病院についてそんな風に感じ ていた。列車を動かすのは医者や看護師の仕事だから、こちらはその列車の中でうたた寝でもしていればよい。その場で待ち続け、身体を委ねてしまえば後は自然と終着駅に辿り 着く。医者や看護師から問われることは、ごく単純なものに過ぎなかったし、ゲームでもするよな感覚でイエス、ノーを答えていけばそれでよかった。ときには多少の痛みが伴う こともあるだろうが、それだって出来ることと言えばただ耐えることだけ。やることはもう決まっているのだから、あとはそれを黙って遂行すればそれでよい。
どこか医者に対して物わかりがよいというか、無駄な足掻きをしないというか、医学を疑うなどと思いながらそんな風に振る舞う自分をどこかで面白がって眺めている別の自分が いる。

近所の耳鼻科の先生も女性だったが、その先生に紹介状を書いてもらい診てもらった先の大学病院の先生もまた女性で、今度は明らかに自分より歳下に見える若い医師だった。ど う見ても二十代にしか見えないその小柄で眼鏡をかけた女先生は、ついこの間まで大学で勉強をしていたと言われれば、おかしくないような雰囲気を漂わせていた。大丈夫か? という不安がまず最初に頭をよぎるが、話しをしてみると案外というか当然と言うべきか、しっかりとした口調でわたしの鼻の症状を改めて説明してみせて、手術の手順なども話してくれる。こっちもそんな若い先生だったから変にかしこまることもなく、遠慮なく色々話しをし、質問をして会話を続けていく。変な医者なら手術など辞めると思っていたがそんな調子でいい感じで話しが出来たから、最後はお願いしますと頭を下げて、手術までの日程と段取りを組んでもらったのだった。 手術をするために一泊二日で入院することになった。入院というものを経験するのは初めてだったが、貧乏人だからいくらか金の心配があるくらいで他に特に不安もない。 一泊の入院で、別に手や足が不自由になることもないから特に誰かに付き添いを頼むこともしなかった。午前中の内に病院に入り、午後一番で手術は始まった。九階の病室から地下二階の手術室にエレベーターで向かうとき、看護師が車椅子を用意しそれに乗れと言う。私はいくらなんでも大袈裟だといい、いらないと告げるが看護師は行きはよくとも帰りは必要になりますよと言う。私はそんなものかと車椅子に座るがもちろん半信半疑の気持ちが消えることはない。エレベーターの中の鏡に手術着を羽織り、素足でスリッパをつっかけ車椅子に座る自分の姿が映る。やはりあまりに大袈裟だと思い私は思わず笑みを浮かべてしまう。 結局、何時間の手術だったのだろうと私は熱を持ったからだをベッドに横たえながらぼんやり考えていた。ベッドの回りでかいがいしく動き回っている看護師に今は何時なのかと尋ねると四時を少し過ぎた所だと答える。手術室に入ったのが午後の一時過ぎだったから、三時間程あの手術台の上に横たわっていたことになる。手術は部分麻酔で行われたから、手術の間中意識ははっきりとしていたが、三時間という時間の経過を思ってもそれに見合う感覚はそこにはなかった。もっと短い時間の中で出来事のような気がした。 手術というものを経験するのははじめてだった。手術台の脇まで連れて来られ、もちろん自力で手術台に乗り身体を横たえる。部屋には小さく音楽が鳴っていることに私は驚いた。チャイコフスキーの交響曲の五番が聞こえている。 音楽があるんですねえ。 ええ、他にもチャンネルがありますよ。何か別のものにしますか。 いや・・・ できれば音楽はない方がいいよ。 私のその受け答えに看護師は少し怪訝な様子をしながらも、私の要望に答えてくれる。音楽は止まり、何人かの人間が部屋の中を行き交う気配が色濃く浮き上がってくる。 誰のための音楽なのだろうとわたしは考える。こちらの意図を確認し、音楽を消してくれと言えばその通り従ってくれるということはあくまでも患者の為のBGMなのか。しかし、私のように部分麻酔でメスを入れられる患者はともかく、全身麻酔を打たれ意識のないまま時間を過ごす患者に音楽など不要だろう? あるいは音楽はあくまでも意識を持ったままに痛みに耐えざるをえない患者のためのものだろうか? などととりとめもなく考えているうちにどうやら準備は整ったようで「間宮さん、じゃあ麻酔打ちますね」と声がかかる。私は無愛想に、はいと言ったまま堪忍するようにゆっくり目を閉じる。瞼の裏で天井から降り注ぐ強い光を感じている。 大男というほどではないがわたしが百八十を少し越える背丈があり、回りが全員若い女性でどうしたって自分と比べれば小柄な印象を受けるから、こうやって手術台に横たわりまわりで小柄な女性達がちょこまかと動き回っている様を眺めていると、自分が捕われた巨人のように思えてきておかしくなる。ガリバーだな完全に、などと考えているような余裕も、麻酔の注射針が顔面にプスリと差し込まれると同時になくなり全身は瞬時に強ばりを見せる。 主治医の若い先生とその助手のこれまた若い女の先生の顔がマスク越しでもそれと見て取れた。助手の先生はいくらか経験が浅いようで(とはいえ二人の年齢にさほど違いがあるとは思えなかったが)何度かの診察での様子では主治医の先生の側が仕事を教えているという関係なのかとわたしはなんとなく思っていた。二人の顔を確認したことで私は完全に相手に身を預け、しっかりと目を閉じたままあとは痛みを耐えるだけの時間を過ごすだけだった。 内視鏡の管が入り、画面越しに主治医が助手にあれこれ指示を出す声がしっかりと聞こえてくる。 もっと奥、もっと奥、そう、そうね。あ、そっちじゃない、そっちじゃない。だめだな、ちょっと貸してみて、などと声が聞こえる。どうやら助手に実際の作業をやらせて主治医は少し引いた場所でその作業に指示を出しているようで、完全に実験台にされているんだなという思いがふっと湧いてくる。笑いを浮かべる余裕はもちろんないがうっすらおかしさが感情の表面を被う。ガリ、ガリと乱暴な音が内側で鳴る。痛みで顔が歪んだ。レーザーでも使ってもっとスマートにやるものかと思っていた勝手な想像はここでも裏切られることになる。ガリ、ガリと切る、というより削るような動きと響きを身体で感じていた。痛いですか、と聞かれるから痛いと素直に答えるとじゃあもう少し麻酔をと再び注射針が鼻の周辺にプスリと差し込まれる。そこからまたガリガリ、ガリガリとはじまりその間、血を吸い上げる吸引機のモーター音が低く鳴り続けている。 それじゃあだめだな、もっとキレイにやらないと、ちょっと貸してみて。 医師の二人は相変わらずそんな会話を交わしながら作業を続けている。その間、こちらはただ身を固くしながらすべてが終わるのを待っているだけだ。これが手術なのかと思った。別に人の身体にメスを入れることなんて特別なことではない。ただただ散文的に作業は淡々と続いていくのだった。 手術が終わり、手術台を下りてその場に立とうとすると、足がよろけて倒れそうになってしまう。今、車椅子持ってきますよ、と看護師の女性が特に慌てる様子もなく言った。自分が思っている以上に全身に力が入っていたのだとその時になって気づき、途端に身体がぐったりとした重みに被われていることがわかる。車椅子の意味もまたようやくそのときになって実感できた。エレベーターの前、車椅子に座った自分の姿が大きな鏡に写って見える。あれほど内側を、ガリガリ、ガリガリといじられていたその顔は特に変わった様子がなく、ただ疲れ切った男の顔がそこにあるだけなのが不思議だった。鼻の中にガーゼーが入っていると言われたが、外から見てもそれが分かることはない。白い手術着がところどころ真っ赤に染まっていた。どことも知れぬ地下室で血まみれにされぐったりしている中年男の姿は滑稽以外のなにものでもない。 病室に戻ったのは夕方で、窓から見える外の景色は鉛色で薄らと白く煙って見える。 「雨が降ってるんだ」 「そうですね、さっき降り出したみたいですよ」 看護師は点滴の位置を調節しながらそう答えてくれる。だが自分で聞いておいてその看護師のことばは聞こえてはいるのだがそのまま頭の中を素通りするだけで、わたしの中には何の痕跡も残さない。聞こえた側からそんな会話を交わしたことも忘れ、ベッドに横たわった間宮はゆっくり目を閉じていく。 全身が熱を持っているのがわかった。ドク、ドクとこめかみの近くで脈打つのが耳の中に響いている。薬で鼻の痛みを抑えているのがありありとわかるような感覚だった。痛みがないわけではない。鼻が何倍にも膨れ上がったような肉厚の感触と、火照るような熱の奥で、ズキズキと痛みが疼いているのがわかった。明らかに激痛と分かるような疼きだった。薬の効力か収まっていけば、その疼きが徐々に大きくなり、痛みは増していくのだろうと思っている。うっすらと目を開いた。いくらも時間は経っていないのにいきなり外が真っ暗になっている。白い靄は晴れ、病院の向いの塔の光がオレンジ色に光っていた。 そこからは一晩中、浅い眠りの中で意識がグルグルまわっていた。夢とうつつの合間でゆらゆらと揺れているような心地だった。途中、痛みに耐えかね看護師を呼び、薬を貰い飲んだ。四人部屋のカーテンの向こうで、誰かの寝返りの気配や咳き込む音が聞こえていた。それもまた夢だったのだろうか。途中何度も寝返りを打ち、熱や痛みが通り過ぎていくのをただひたすら待っているだけだった。あるときから、幾らか痛みや熱が落ちついて来たことが感じられた。身体から幾分力が抜けていく。そこからほんの少しの間は眠りらしい眠りに落ちていった。 雨が上がっていた。 浅い眠りの中で外からの光を感じていた。看護師がカーテンを引き、声をかける。 間宮さん、どうですか?  雨が上がったの? と私は看護師に声をかける。今は降ってないかな? また降りそうだけど。後で朝食を持ってくるといって看護師が出て行ったあと、私は重い身体を起こし、ヨロヨロとトイレに向かった。薄曇りの空の下、外を眺めると行き交う車が小さく見えた。九階と言えばそれ相応の高さなのだとそのときになって私は気づく。朝の光の下で向かいの病棟を見ると、それがもうかなり時間の経過を得た古い建物であることが分かる。灰色の病棟が雲天の空の下でさらにくすんで見えた。 最初から一泊二日で病院を出るという話しではあった。間宮さんどうします? と看護師に聞かれときに、何のことかわからなかったというのはこっちはもう最初の予定通り今日のうちに自分の部屋に帰るつもりでいたからだった。だから、そのとき看護師が、もう一日病室に泊まっていくか? と言ったときにはむしろ泊まっていくことも可能なのかと逆にこちらから尋ねたのだった。 完全に病室を出て行くことだけを考えていたからそのことを見ないでいたが、病室にまだ残るということもありうるのだと思うと、確かに昨日の今日で鼻の痛みが治まるはずがないのは当然のことだとしても、何より身体の内側にメスを入れたことによる疲れが自分ではまったく予期していなかったほどのもので、むしろ今日の内に病室を出ていくことなどまるで現実的でないような気がした。もし看護師や担当の医師がもう一日、二日病院に残れというなら私は何も逆らうことなく残ることを選択しただろう。帰ってもいいかと問う私に先生は、あまり無理をしないほうがいいとはいうが特に残ることを勧めることもなかった。身体の力の抜け具合を考えれば、相手に残れと言って欲しかったが、そう言われなかった私は、出来れば自分の部屋に帰って休みたいという考えを押し通すほかなかった。そうと決まれば、辛気くさい病院などさっさと出て行くに限るとばかり、私はノロノロと着替えをはじめ、ほんの僅かな荷物をカバンに詰め込み、午前中の内に病院を出たのだった。 先生、煙草は? 煙草は吸っていいの? 煙草は鼻が詰まりやすくなるから余り吸わないほうがいいんだけどなあ。 あまりいい顔をしない若い女の先生に、私は少しいたずらな笑みを浮かべながら「わかりました」といって頭を下げエレベーターホールに向かう。笑いの意味がわかっただろうかと、私は力の入らない身体をエレベーターの壁にもたれかけながら、一つ一つ数字を移動するランプをぼんやり眺めていた。とにかく煙草が吸いたかった。 ゆっくりゆっくり歩くほかなかった。 正面入り口の目の前にある受付の前を行き交う人の動きを見てすでに恐れを感じていた。とてもその人並みを掻き分ける自信はなく、わたしは人の出入りの少ない場所から病院を出ようと踵を返し、人混みを避ける。 病院の敷地を出て、道を行くと車の騒音がうるさくてたまらなかった。遠くでクラクションでもなろうものなら飛び上がらんばかりに過剰に身体が反応していた。身体に力が入らなかった。薬が効いていたから傷口の痛みはとりあえず治まっているが、身体が脈打つ度に傷跡がうずくような気がした。力の入らない身体の中で傷口だけが生きているようだった。ふらふら、ヨロヨロと私は駅に向かって歩いていく。歩道を歩く人を、私は何度も脇によけ道を開けてやり過ごした。病院の敷地の中で喫煙所を見つけることができなかったから、脇道に入り見つけた小さな公園のベンチに腰掛け、わたしは煙草に火をつけた。曇り空で気温も低いせいか、公園には誰もいなかった。煙草の煙を一口吸い込み、吐き出した後で私は大きく息をついた。「やれやれ」思わずそんな言葉が口をついた。電車に乗ってしまえば三十分ほどで部屋に戻れるはずだったが、まずは後五分も歩けば辿り着くはずの地下鉄の駅まで辿り着けるか?というほど身体に力が入らなかった。単に衰弱しているというだけではないような気がした。普段、当たり前だと思って過ごしていたこの街の動きに弾かれたように、わたしの身体はまるで別のものになってしまったようだった。この弱り切った身体で眺める街の動きはすべてが乱暴に見え暴力的に感じられるのだった。 何をそんなに急いでいるのかと、改めて聞きたくなるほど誰も彼もの動きが早く見えた。あっちはこちらに対して全く無関心のようで下手に道でも塞ごうものなら強く突き飛ばされてしまうような気がした。階段の手すりにようやく捕まり、私はゆっくりゆっくり駅の階段を下っていく。 自動改札を多くの人が行き来していく。誰も彼もほとんどミスを犯すことなく、スムーズに改札を抜けていくのが奇跡のように思えて、感心してしまう。昨日まで日常的に見ていた光景、というだけでなく自分もまたあの人波の中で、その流れに疑問を持つことなく動き回っていたのだ。いや、疑問はいくらでもあった。だが疑ったところでどうしようもなく、その流れの中で生かされていたのだと、こうして病人の視点で眺めてみるとよくわかる。昨日とはまるで違ってしまったように街が殺伐としているように感じられた。いつもの師走の光景といってしまえばそれまでだが、この殺伐さをどこかで感じながらもそれを煌びやかなイルミネーションや目先の忙しさで覆い隠すことでなんとか日常をやり過ごすのだ。 こうして病人の目で眺める日常の裂け目もすぐに塞がってしまうことをわたしはわかっている。弱った身体が戻るまでにはまだもう少し時間がかかるかもしれないからしばらくは病人のままでいられるかもしれないが、今度は病人としての日常がすぐに回りを被っていくだろう。この日常の裂け目の中で常にヒリヒリとしながら生きていくことはできないけど、普段見えないからといってそれが存在しないとはやはり言えないのだ。 駅前の蕎麦屋で腹ごしらえを済まし、わたしは駅からの道をトボトボとアパートまで歩いていく。 殺伐としていると言えば、たかが一日誰も人が出入りしなかったというだけで自分の暮らす部屋こそ、すっかり冷えきりよほど殺伐としていたが、それでももう四年程そこで暮らし住み慣れたその空間に戻って来るとやはりホッと一息つけるような気になる。部屋の明かりをつけ、煙草に火をつける。薄らと油の焼ける匂いが満ち、ゆっくりと暖かさが下から這い上がってくると部屋にもようやく人気が戻った気がした。 わずかながらの荷物をその場に放り出したまま、わたしはようやくの思いで着替えを済ませ、倒れ込むようにベッドに横たわる。布団の中で丸まって目を閉じる。布団の冷たさがやけに身にしみた。さっき薬を飲んだからしばらくは痛みは治まっているだろう。それでも傷跡のうずきを感じないことはなかった。その疼きの奥に確実に傷の痛みが残っているのを感じることができた。 ふっと、目を開く。窓から薄曇りの光が射し込んでいる。 別に何もやれることはない。この土、日とこうして身体を横たえ、傷口が元に戻っていくのをただ待つだけ。様子をみて、月曜から仕事に出れるようなら行きますよ、なんて体のいいことを言ってしまったが、さてどうなるか。 自分が仕事に穴を開けることで負担をかける、若いやつらの顔がいくつか浮かんだ。次の通院は来週の金曜だと言っていたな。わたしは、担当した若い女の医師の顔を思い出している。いつのまにか系統だっていた思いがバラバラになり、脈絡を失う。自分でもなぜそんなことを思っているのかという場面がキレギレに浮かんでいる。意識は途切れ、わたしはまた浅い眠りに落ちていく。