共同体の慣習を疑うこと。
ある場所で当たり前であることが、違った場所ではまったく当たり前ではないという単純な事実。
そこでの振る舞いが、他所ではまるで通用せず、違った振る舞いを強いられる。
結局、共同体の規則は相対的なものに過ぎず、さらにそこでの自分ですら仮のものでしかないという認識。
そんな風に考えるきっかけはささいな経験だったのだろう。幼い頃の転校であるとか、あるいは学校と学習塾という違った場所を往復する日常であるとか。
その場所での自分に安住したくないという思いがあった。いつだってそれは仮のものに過ぎず、退屈な繰り返しの果てには質的な劣化が訪れると勝手に思っていた。だから、誰も知っているものがいない学校に進学してみるとか、学校を出てすぐのアルバイトをはじめた頃、仕事を覚えてしまえばそれで終わり、といった感じで意図的に仕事を転々としてみるとか、それ自体、些細で半分馬鹿げた実験だった。
あの頃、バック一つ担いで海を渡り旅をする、といった振る舞いにまったく興味が持てなかったのはもちろん観光が大嫌いということがあるし、自分探しの旅は、そもそも探すべき自分なるものの存在を信じていなかったから動く動機にはならず、さらにその頃は冷戦が終わって、誰も彼もが世界資本の波に乗って外を飛び回り出していたから、そこにも逃げ場はないといった感じだった。それは興味をもつべき「移動」のあり方ではなかったのだった。
あるときから「移動」というものに対する迷いも混じりだしていく。自分は本当に動いているのだろうか? 移動することが慣わしになってしまえば、それはそれでひとつの安住になるのではないのだろうか? 「外」との対話などといってみるが、意識的に見いだされた「外」本当に外か? 自分の意識に写った外側はいずれ食い尽くされていく。それは資本が常に外に活力を求めるあり方と、一体何が違うといえるだろう。冷戦が終わり、すべてが食い尽くされた後、宗教が浮上してくるというのも、「外」(現世の「外」としての神)を求めずにはいられない人間の欲望のあり方なのかもしれない。
結局、世界を見渡すことなど誰にもできないことだった。外は意識できないから外の名に値する。未来は誰にもわからないし、自然を支配することなど誰にもできない。だから逆にいえば、外はあると言える。目に見えず、あらかじめ意識に繰り込むことはできない世界がそこにあると認識することはできる。外はないと考えることで開かれる世界。閉じることがない場所。(2015.03.05)