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土地と、振れる


正月、久しぶりに実家に帰った。
実家と言っても、果たして今となってはそう呼んでよいものなのか否か、いくらかの迷いがある。
生まれたのは他の場所で、その家で暮らしはじめたのは七歳とか八歳とかいう年齢の頃だった。その時は両親と祖父母、一人の姉と七、八歳の少年という六人家族だった。僕がその家で暮らしたのは高校を卒業してすぐの頃までだった。今考えれば、それはほんの十年くらい時間でしかなかったということに些かの違和感と驚きがある。
僕が家を出た後で、祖父母は他界し、そのあと母親も病気で死んで今はもうその家にはいない。今、その家では父親が他の人と再婚して暮らしている。
便宜上、実家と言いはするが、もうそこは昔とは違う場所だ。
親戚の家に顔を出したりしている合間に少し時間が空いたから、なんとなく町をフラフラと歩いてみる。一月二日の昼近く、コンビニを除けばどこの店も閉まっているし、人影は少なく、行き交う車もまばらだった。
別に感傷に浸る気はなかったけど、何となく見慣れた道を歩いて、昔、通った中学の前を通ったりしながら。
もちろん町は昔の面影を残していて、
それでもそこには昔とは違う人たちが生活しているのだ、という感覚。
きっと、自分もまた昔その土地で暮らしていたときとは違う人間になっているのだろう。
昔からある大きな慰霊の塔を横目に歩道橋を渡って行く。この新年の昼間からぞろぞろと人が列をなして公園の中に入っていく。
人並みが目指す先はきっとサッカー場で、この時期ならまあ高校サッカーということになるのだろうと思って、その人混みの中に紛れて歩いていく。
もう何年も前に改修され、いくらかきれいになっているはずのサッカー専用のグランド。
入り口付近にはしっかりチケット売り場が設けられている。昔は、高校サッカーなんてただで入れたのではなかったっけ? あれは同じ高校サッカーでも県の予選大会だったか?
Jリーグになる前の社会人の時代の試合は、最初から入るとお金を取られたけど、途中からだともうチケット売り場に人がいなくなって、タダで中に入って試合を見れたはずだ。閑散したスタンドの下で、選手達の声や息づかいが生々しく響いていた。少ない客の疎らな歓声と、甲高く鳴る審判の笛。向かいの灰色のコンクリートの団地のベランダにも何人か人が出ていて試合を遠めから眺めていた。夜の照明に照らされ、人々の顔は青白く照らされている。緑の芝。スタンドには座り心地の悪い石造りの長椅子。
見慣れているはずの町の中には、見知らぬ建物もいくつか立ち並んでいた。昔はなかった家やビル、あるいはマンション。
そこにはまさに昔はいなかった人たちが住んでいるのだろう。自分の土地が違った人たちによって変えられていく、とまでは思わないが、
その場所は、そこにいない自分ではなく、今いる彼ら、彼女らの生活の場である、ぐらいのことは感じただろうか。
それでも確かに過去の一時、その土地で暮らしていたという身体に刻まれた響きのようなものを何となく感じながら、とぼとぼと一人町を歩き続ける。


奥多野に住んでもうすぐ四年が過ぎる。町から少し離れた山の中に住むようになって移動はほとんど車になり、すっかり歩く機会が少なくなってしまった。それまですんでた東京では歩いたり、自転車に乗ったり、ときには電車を乗り継いだりという生活の中で街と触れあっていた。奥多野ではそんな風なやり方で土地と触れあい、響き合うことはできない。殺風景な景色の中でアスファルトで舗装された国道を歩いても面白みがない。仕方なく、というわけではないのだけれど、最近は少しづつ山を歩いてみようかと考えている。
別に美しい眺望を求めるわけでもなく、ただ歩いて踏みしめる土の感触を感じられればそれでいい。無理に上を目指すのではなく、なるべく人の形跡を感じる山道を辿ってみたい。
違う視点に立ってこちらを見返してみて。今の自分の立ち位置を違った場所から眺めてみる。
土地に触れて、土地と振れて、一人とぼとぼと山道を歩いていく。
結局、やってることは都市に暮らしていた時とあまり変わるところがない。