前例のない実験を続けること。前例がないということに不安を感じるのは悪いことではないが、恥じる必要はない。
私的な実験。それが「単独的」であるということ。もう随分前から知っていたことばなのに、それが腑に落ちるという感触ははじめてだ。
我ながらその鈍さに驚く。
科学者の実験というのも結局、単独的であるほかないのだろうと思う。だが科学の嫌なところは成功に居直るところ。結局、そこから権力に走る。そうなるともう科学という名の宗教になってしまう。それがいかに嘘であるか、原子力村の連中を見れば分かる。
気になったことば。「設定などどうでもよい」。確かにそれはそうで、僕には設定に拘る悪い癖がある。その拘りが過ぎれば差別にもなるだろう。
とはいえ、ともかく結果は出る。主眼は実行にあるとしても、結果を材料としない実行はあまりに盲目に過ぎる。あくまでも結果としての設定。あるいは状況とでもいうか。状況を無視するならただのあてずっぽうになってしまう。
自分ではない他人が言葉を聞く、あるいは読むということをイメージすることは可能だろうか?
こう言えば相手はこう考える、などと予測するということではなく。それはもう一つの自意識に過ぎない。そうではなく言葉を晒す。あるいは晒されることばをイメージする。ことばを自分のものとするのではなく、それを聞き、読むのは他人で、自分の意識の中に言葉を回収することはできない。
外はある。意識に回収されないものとして。(2015.04.05)